「今日はイブじゃあん」と言って入ってきた政治師匠。
小笠原丸の話から入ります。
特二の上段は年寄りにはダメだよ。
あんな垂直のハシゴ上り下りできないよ。
そして、
落水した人の話。・・・・・・
船の脇のタラップがないからああいう時たいへんなんだよお。
マットは滑るよね。枕とマットがすべるよ。あれはマズイ。
そして、
捕鯨母船の話
すごいデカかったという思い出。
向島のこっち側に停泊してたそうです。
(戦争中、政治師匠は義勇軍として島に残っていました。)
昔の軍艦の話。
当時、政治師匠19歳。
舟木山に見張りヤグラがあってよく見えたよお。
敵艦が落としていった機雷まで見えたんだから。
見張所の下に電話があって、それを本部に知らせるんだから。
敵艦は向島や姪島の向こうから母島へ向けて艦砲射撃をしたんだから。
ぼくらは、敵の船や飛行機の形を全部絵で覚えさせられて、
それを双眼鏡で見て
「敵のナニナニが来た。」
って報告するんだから。
それで内地の大本営から表彰もされたんだから。
(小笠原は本土防衛の要でした。)
そのとき使ってた双眼鏡がデカくてすごかったそうです。
「舟木山の見張りヤグラからは、父島の上空で飛び回る
グラマン戦闘機がよっく見えたよお。」
終戦して日本人が内地に送還されるときには東港に集合させられて
持ち物検査をされ、はさみから箸まで 取り上げられた。
そのあと機銃掃射で全員殺されるかと思ってたって。
誰かが打った砲弾が敵機にあたったが
あっという間にパラシュートが開いて
着水するとどこからか船が来て救助し
飛行艇が来て乗組員を輸送していった
特攻艇(トラックのエンジンを動力とするベニヤ板張りの小型ボートで、へさきに250キロの爆薬を積んだ。)の基地が
西浦にあったが
一向に攻撃しようとしなかった
日本軍はだめだよ。
と、今日のお話、政治師匠の昔話シリーズでした。
これ、12月27日の練習会です。
元旦は太鼓初打ちですよお。
それでは、よいお年を。
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