戦前、母島ではカボチャの栽培が盛んで、
荷役作業を2日間ぶっ続けでやったもんだあ。
そのころの船は芝園丸といって、3000tもあったんじゃぞおお。
食事なんかはボーイが部屋までもってくるんじゃぞおおお。
今もよく保安庁の船なんかがアンカーを下す御幸の沖に停泊して艀で運ぶんだが、
一回その本船がサンゴにアンカーをひっかけちゃって、
往生した時なんかは、島の人何人かで素潜りで25mも潜って作業したそうだす。
戦後の椿丸は500tだったそうです。
話はかわるが、
旧診の前の一段高くなったとこあるじゃん。
いま畑やってるとこ。
あそこは戦前「カシキン」っていう呼び名の和菓子屋さんがあって、
ようかんを売ってたんだとさあ。
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