5月6日練習会と師匠むかし話6

5月6日練習会

 

きのうGW最後の出港日だったけど

まだ残ってるお客さんがいるんだね。

観光のお姉さん方、太鼓に遊びに来てくれました。

これから旧ヘリに星を見に行くんだって。

いいねえ。

 

 

この間の「Sの会」おいしくて楽しかったね。

という話から、

「そういえば昔は島では炭はどうしてたんだろ」

ということになったとこで、

師匠登場で、師匠むかし話その6。

(今までの師匠むかし話を数えたら、今回は6回目でした。)

 

で、聞いてみました。

師匠、昔は島では炭はどうしてたんですか。

 

「炭はつくるんだよ。」

「自分のうちでつくるんだよ。

台所に、ごはん用と、みそ汁と、なんだ、おかず?

へっついが3つあって、薪をくべて炊くんだけど、

その薪の燃えたいいのを炭つぼに入れて作るんだよ」

 

ということで、

ロース石のかまどで(関西ではへっついと呼ぶらしい)

薪でご飯を炊いたり料理したりするんだけど、

そのとき使う薪の手ごろなやつを

燃え尽きる前にこれもロース石の炭つぼに入れて

炭にするんだそうですね。

ただ、炭は普段あんまり使わないらしいです。

正月に餅を焼いたりする用に作るんだそうです。

そうそう、暖房用の火鉢なんかはあんまり使わなかった

だろうからね。

いい炭が必要な時に作るそうです。

 

「普段は薪。炭になりそうな木は取っておくの。」

「僕ら子供は、できるだけ堅木(かたぎ)をとるの。」

 

硬い木は火持ちがいいからね。

生活の知恵ってやつだね。

 

「営林署が若い衆をつかって、枝を払って落として歩くから、

山がどこもきれいだよ。

子供らが、こまかいダンサラを拾ってきて、

お湯を沸かすときなんかに使うんだよ。」

「薪は毎週、毎週取りに行ったなあ。

ほんと、山はきれい。

枝はあんまり折っちゃいけない。

枯れたやつを拾ってくる。

営林署の人らが今日はどこに行ったとわかるじゃん。

オヤジらに聞いて。

するとほかの山に行って拾うんだよ。

ナタノコは子供は使っちゃいけない。

あぶないから。

できるだけ落ちたやつを拾ってくる。

だから綺麗。

長いやつは石に叩きつけたり、木の又で折って持ちやすいようにして

持ってくる。

へたしてると、いいとこ取られちゃう。

早く行って、早く帰りたいからね。

 

営林署の人が島の若い衆を頼んで山の管理に向かうと、

大人たちが行かないほうに行って、焚き木を拾ってくるそうです。

子供たちは危ないから、ナタやのこぎりは持たせてもらえないから、

落ちてる枝を持ちやすいように折って担いでくるそうです。

山はいつもきれいでした。

 

若い衆会、軍人会の宴会などの時は炭を用意した。

 

一つの七輪を四人で使う。

「外での宴会は、祭りなんかの時以外はしなかったなあ。」

「ここでは、すき焼きは、鉄板焼きのことを言ってたんだよ。

内地ですき焼きを頼んだら鍋が出てきた。

なんで鍋がと思ったね。」

「時々農家が飼ってる豚が売られるの。

吊るさってるやつの、欲しいとこを言って、削いで買う。

豚の肉、たまに店に出るんだ。何か月に一度。軒に吊るす。」

「もう戦時中には豚はいなかったんじゃないか。

食い尽くされちゃった。」

 

戦時中、姪島に牛がいた。

海軍の人が船で行って、持って帰ってくるそうです。

仲間の漁師さんから情報が入ると、

分け前をもらおうと、待っているそうです。

師匠は、島の重鎮の知り合いがいたり、

監視所で働いているということで、

優先的にもらえたそうです。

舟木山の監視所に、ザルに入れた13人分の肉を担いでいくと、

途中でほかの兵隊さんたちが、

たばこや乾パンと交換してもらおうと待っているそうです。

もちろん好条件で交換してやる重要な役割の

15歳の師匠でした。